黒織部茶碗 加藤唐九郎 昭和36年
抹茶碗をコレクションする趣味など持ち合わせていませんが、いまだにその人気は衰えることのない、魔界の領域であります。
人間の欲望と権威に弱い性をもろに表した『名物』が出揃う新年の茶会などでは、普段、拝見すら出来ない逸品を手に取り、内側の宇宙を独り占めできるのですから、その贅沢三昧は格別に違いないのであります。
それでも、作り手は「そんなこと関係ない」と言わんばかりに、炎の勢いという神の領域に全てを委ね、作為と無為との狭間で格闘しながら奇跡のような姿を導き出します。加藤唐九郎の黒織部茶碗も正に、その奇跡の逸品といえるのでしょう。青山二郎という稀代の目利きは、茶碗の六相として、三趣(品格・侘び・寂び)・三感(量感・力感・浄感)を挙げていますが、この器はその全てをクリアーしていますね。
そうそう、この三趣・三感はとくにプロダクトデザイン領域の完成された姿の条件として応用できますし、昨今の建築物評価にも使えますね。
さて、お知らせですが、このブログのディスク容量がオーバーとなる、本年12月12日をもって、alpshima は毎日連載の記事が完了いたします。現在、記事のストックがいっぱいとなり、 alpshima にタイムリーな記事を書き込みできなくなりましたので、今からでも新らしいアドレス http://alpensmile.cocolog-nifty.com/ のブログを、併読ください。
タイトルも alpshima 2 といたしました。タイムリーなできごと・散策日記などを書き込みますので、時々クリックしてみてください。何とか、ほぼ毎日の書き込みをしたいと思います。12月12日までの alpshima と併読していただけますよう、宜しくお願いいたします。(このお知らせは、今後のブログで随時記載いたします。)
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コメント
小学校の1年生のころと記憶する、同級生の家で遊んでいると、
老人の居る部屋に案内され、友人と二人で小さな囲炉裏の前に正座した、
小柄な老人は無言で茶を立ててくれた。
飲むと美味しかったので、追加を所望した。
無論作法など知らない、どう云って追加したのか??
覚えていないが、その場の光景は今でも脳裏に浮かぶ。
つい最近 若い時にお茶や華道を習いに行けば、綺麗な
お嬢さんたちと知り合いになれたと気がついたが
遅すぎる。
投稿: JP | 2011年10月11日 (火) 午前 07時53分