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2011年10月12日 (水)

役者町・新富町

1875_2

新富座は万治三年(1660)木挽町五丁目(現在の銀座6丁目、昭和通り西側)に創建された『森田座』を引き継ぐ歌舞伎の劇場でした。森田座は代々森田勘弥(かんや)が座元で、天保十四年(1843)浅草猿若町(現在の台東区浅草)に移り、安政五年(1858)に『守田座』と改めました。明治五年(1872)には、守田座十二代勘弥が新富町に移転進出し、同八年(1875)に『新富座』と改称しました。新富座は市川団十郎・尾上菊五郎・市川左団次などの名優を集めて積極的な興行を行ないました。劇場は近代的な様式を取り入れた大規模な建物で『東京第一の劇場』と称され、周辺には歌舞伎関係者が多く居住し、一帯は芝居町となっていました。

 明治二十二年(1889)に歌舞伎座が開場するまで芝居興行の中心的存在でしたが、大正十二年(1923)の関東大震災で焼失しました。

 明治期の錦絵には海鼠壁(なまこかべ)の上に絵看板を並べた大劇場の様子が見え、往時の繁栄ぶりがうかがえます。

現在所在地 東京都中央区新富2-6-1 

大規模商業施設などに併設されるエンターテイメント空間は、時代の流行もあって、お気軽な芸人さんの世界をプレゼンテーションする場ばかりが目立ち、伝統系となると、歌舞伎座にその去就を任せるしかなくなった感があります。1875年(明治8年)、新富座の江戸前の姿を観ると、町芸の昇華したスタイルとしての伝統芸の華やかさが窺えますし、スケールも馬鹿馬鹿しいほどの広さでなさそうですね。跡地近くには今も足袋の大野屋の店が残り、往時の役者町の艶やかさが夕方のアンニュイな時間帯になると現れそうであります。

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