北斎の富士
天保2年(1831年)の富嶽三六景・三島から望む富士山は、葛飾北斎自ら相当の過剰な表現サービスに終始しています。
かたや、安藤広重のセンスはさっぱりとしながらも焦点を絞ったりとアートディレクターの職能をフル回転してますが、北斎は職人としての絵師に拘ったのか、バランス感覚に当たり外れが多いのです。
この画面の下から湧き上がる雲の表現などは日本人離れして、仏画の絵師のようにぐねぐねと、かき回しています。ついでに調子に乗りすぎたのか、樹齢数百年であろう大木の幹の表現にも描きすぎが乗り移り、サッパリとした景色はどこにもないという状態です。唯一、幹の径を測っているのか、幹の隙間に入ろうとしてるのか、旅人の興味津々が読み取れるのが救いであります・・・。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
Perfect asnewr! That really gets to the heart of it!
投稿: Robinson | 2011年12月14日 (水) 午後 08時16分