写真:大竹省二
今の若い皆さんにはお判りいただけないでしょうが、昭和30年代のテレビのもつエネルギーといったら、凄いものでしたし、まだビデオも発達していない頃でしたから、全てがやり直しの効かない状況で出演する者も観る者もかなり真剣勝負の感がありました。この時代はまだプロデューサーという職業は確立されていませんでしたが、井原忠高・三木トリローのお二人がテレビに与えた影響はたいへんだったようで,良識のあるバラエティー番組作りからちょっと大人の気配を匂わせる番組作りまで尽力された頃のお二人の苦労話は、抱腹絶倒だったそうです。
さて、この写真は大竹省二さんが昭和30年代に撮られた写真を元に永六輔さんとの対談をまとめた朝日新聞社刊「赤坂檜町・テキサスハウス」の中に登場する小島正雄さん(左・1914~1968)・三木鮎郎さん(右・1924~1997)の写真です。赤坂檜町、乃木會館近くにあったテキサスハウスという、今で云う億ションにはその時代の寵児が多く住んでおられ、その一室で寛いでいる様子ですが、このお二人もテレビの一時代を担った代表格です。小島さんは、ビッグバンド・ブルーコーツのバンドマスターとして、又ジャズ評論家のキャリアを音楽番組の司会と制作に注ぎ込み、あの「ダークダックス」「スリー・グレイセス」を世に出された方です。小島さんの江戸前の切れ味のよい解説と品のよい風貌は多くの良識ある家庭に支持されました。一方、三木さんもコマーシャルソングの天才・三木トリローさんの実弟で映画脚本家からスタートし、その後長寿番組「スター千一夜」の司会を務め、そのゲストに対する気配りと質問の按配が今日でもテレビ・インタビューにおける品格の高さの典型として語り継がれているそうです。
この時代は、映画からテレビに娯楽の主役の座が変わり始め、テレビ界に優秀な人材が流れ始めましたが、了見の狭い映画屋のみなさんは自分たちのプライドを捨てきれず、じっと耐えていた時代でもありますが、その後の勢いにはもう逆らうことは出来ませんでした。
若い頃から苦労を重ねながらも、生活を遊ぶ・楽しむ余裕をもち合わせていたご両人の影響があったのかは分かりませんが、その後、各テレビ局に大人の品格にあふれた番組が増えていったのも偶然ではなさそうな気がいたします。。
小島正雄さんについて息子さんのサイトがあります( http://www.ozsons.com/KojimaMasao/ )
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