『海へ行ったはなし』1955年の絵日記 その八
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20年以上前のある時期、一緒の仕事に関係いただいた友枝康二郎さんのブログから、お借りした写真を二枚。http://blog.goo.ne.jp/tomodesmo
友枝さんが以前勤務していたHONEYという会社は、小野塚万人社長の思い入れたっぷりな「子供らしい子供に育つ環境と商材」を提供し、多くのフアンが生まれ、代官山にも「テディベアの店」「手拭いの店」「クリスマスの店」などが点在していました。この中でも、手拭いの店は今も全国にあり、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
残念なことに、現在この会社はありませんが、ここで育った多くの若きクリエーターはまだまだ健在で活躍されています。
友枝さんはこの会社で、優れて可愛いキャラクターデザインを創造され、そのすべては現在も古臭くなく、アメリカンとフレンチが重なったような独特な趣きは、ある時代の商材のデザインとして特筆できるほどの完成度の高さがあります。友枝さんは現在、居を山梨県原村に移し、パッケージ・グラフィック中心の東京での仕事は、愛車ランドローバー・フリーランダーか、高速バスを使っています。
八ヶ岳周辺の新緑は、そのライムグリーン色が秀でた明度・彩度を持っていて、この時期に出かけると、日々の疲れが一瞬にして消し飛ぶほどの、勢いがあります。八ヶ岳周辺は1963年の自転車合宿以来、とりことなってしまい、その裾野となだらかな地勢は独特な臨場感があり、大好きなCarter Familyやhttp://www.youtube.com/watch?v=ZbmQQ4RfzVEBlueGrassMusic Doyle Lawson & Quick Silverのサウンドをhttp://www.youtube.com/watch?v=ySLBNOmqu08&feature=PlayList&p=D755D36138D62EE2&playnext_from=PL&playnext=1&index=18ボリュームいっぱいにしてドライブする解放感は、夏のお約束でもあります。
そろそろ出かける頃合となってきました。
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鉄鋳物製のダルマストーブは、その鋳肌が真っ赤に透けそうになって、今にも溶けてしまいそうになるほど、石炭をくべていました。
今とは比較にならないほど、寒かった教室の冬、とりわけ、図画・工作を授業は校舎が離れていて、そこに入るとストーブが真っ赤になって、生徒を迎え入れてくれました。
それでも、天井の高いアトリエですから暖かいのは上ばかり、床に近い足元は寒さで厳しく、生徒は、ほっぺただけが赤くなっていました。
この絵は、クロッキーという授業で、素早く対象をスケッチするものでした。墨汁でクラスメートの北川 伸君を描いたのですが、墨汁と筆との按配が分からず、はじめはベタベタの画面となってましたが、次第にかすれた風合に興味を抱き、子供ながら枯れた境地に魅了されることになってしまいました。
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今や、なんでもありの東京のレストランですが、その昔、まだスパゲッティーといえばナポリタンかミートソース程度しか存在していなかった1960年代はじめ頃、父に連れられ六本木のレストランで食べたスペイン料理には、びっくりしました。
その新鮮な魚介類がふんだんに盛られ、レモンがたっぷりと放り込まれた鍋など見たこともありませんでしたから、ただひたすら喰らいつくしかありませんでした。魚介の絶妙に混ざった出汁の香りは未知との遭遇でしたし、ワインやオリーブオイルを隠し味にしたその風味に感動しっぱなしでした。それが、パエリアという名の料理であったことを知ったのは、後に車で遊び出した1966年に入った、横浜・馬車道のビストロでした。
この翌年1967年、「海外自動車レースとジュネーブ・トリノ自動車ショーの取材のアシスタント」という振って沸いた勢いのある話に便乗して、初めてのヨーロッパ旅行に行くこととなり、西欧の食生活に慣れるため、東京都内のイタリア・ドイツ・フランス・スペインのレストランに、手当たり次第入りました。
東京オリンピックも終わって、一気に近代都市の様相を呈しはじめた頃でしたが、今から思えばずいぶん怪しげな店も多く、どきっとすることもありましたが、さほどトラブルもなく今日に至っています。
この時代、特に赤坂・六本木には怪しげな店が多かったのですが、そういう店に付き物の胡散臭さと貧乏臭さが無かったからこそ何処も大繁盛していました。やがて、多くの店は妖しさ・艶っぽさに変わったものの、現在も上昇志向の輩は、この町にとめどなく吸い込まれていくのです・・・。
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自分の好みの音楽ジャンルを規定してしまうと、井戸のように深く狭く趣味としては達人の域に到達するのでしょうが、私のような浮遊指向ですとプールのように、やや浅く広く、その時代時代の感覚に浸る方が楽しいのですが、ことブルーグラスミュージックに関しては、中学以来すっかり深堀してしまいました。
最近は、古いジャズ系のサウンドをBGMとして専ら、流していますが、先々週、神宮前の意固地な店『J・COOK』の店主に薦められた、Mellissa Collard http://www.melissacollard.com/Reviews.html が抜群のヴォーカルセンスとバックミュージシャンのサウンドセンスに、久しぶりの豊かなひと時を愉しみました。全曲、ポピュラーなものばかりですが、そこに、繊細な現在の感性を織り込んで、ご機嫌至極であります。もう一枚のJanet Seidel http://www.janetseidel.com/ のCDは「Melissa Collardを好きな人はこのCDも買っています」というAmazonの口車に軽々と乗せられ、クリックしてしまったものですが、偶然とはいえ、こちらもドリス・ディの名曲ばかりで、スローなスタンダードが心地よく、この時季にみごとにはまる音楽であります。
さて、私以外にも、ブルーグラスフリークスの皆さんの中には、ジャズ、それもシンプルなものを愛する方々が多く、古くはホーマー&ジェスローから、ライ・クーダー、マリア・マルダー、そしてマンハッタン・トランスファー、ブライアン・フェリー、ノラ・ジョーンズ・・・などをお気に入りで、ジャンル越えがご法度のようなブルーグラス界において、ジャンル越えの達人たちが隠れキリシタンのように点在しています。
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自転車の恰好をしても、さほど気にとめることなく入れるお店というのが少なくて、都心ですとどうしても休息する店が決まってしまいます。
神宮前近辺であれば『J・COOK』の美味しい軽食、神田界隈であれば、『さぼーる』のオーナーのしゃきっとした江戸前の応対と、切れ味のよい香りの珈琲が気分よいですし、少し北に上って本郷辺りですと『近江屋洋菓子店』のスープランチとご存知アップルパイ、ケーキ類・・・などと、食に関するお店のチョイスを正しくお洒落にすることは、都心の自転車徘徊が楽しく過ごせるか否か、決定的な要素なのです。
さて、昔の日本家屋でいえば縁側、店でいえば御茶屋の毛氈を敷いた縁台・・・といった日本独特の空間は中でもなく外でもなくといった、正に日本の曖昧性の代表例のようなものですが、こんな環境の場所も都心では限られていて、フランチャイズの無機的メニューとマニュアル通りのおもてなしに耐えるのが、一般的な自転車愛好家の行動のようです。
ジャックタチの映画や1950年代から60年代前半のフランス映画には、フランス文化ともいえるカフェが多く登場して、今でもビデオを通して愉しんでいますが、私が初めてヨーロッパに旅行した時は、その数の多さと店の歴史の長さにびっくりしたものです。どんな地方に行っても、地元の親爺さんたちが仕事を終えて談笑に耽っている様子をみて、羨ましい生活環境だなあ・・・と感じ取ったものです。
今でも、この絵のような小さなホテルとカフェ・バー・ビストロなどが組み合わさった所が目の前にと突如現れれば足を止めたくなってしまう性癖は、子供の頃から吉祥寺・神田・銀座で父の徘徊をつき合わされ、居心地のよい店の雰囲気を子供心に知ってしまった影響からかも知れません。
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びっくりすりほどの暑い東京で、少しでも涼しい時間を見計らって健康維持をしたいという皆さんが、一気に押し寄せるのが皇居周辺ですが、この暑さともなれば、さらに早い時間に集まる事態となっています。
お盆の時期は車も空いていたのですが、地方から車で来る人も年々増えている状況ですから、以前ほどがらがらという訳にもいかないようであります。
さてこの日、犬に起こされたこともあるのですが、未だ暗いうちから眼が覚めてしまい、こうなると、さっさと自転車を出して都心までの早朝ロードを味わうほか、暑気払いの策ががありません。早朝のフルスピードですと駒沢から桜田門まで概ね、30 分ほどで到着しますが、其処はもう早朝徒歩走行集団の巣窟となって、自転車の派閥はスポイルされそうであります。
朝陽の角度と櫻田濠の鏡面の輝きがぴったりと重なりますと、ご覧のようなコントラストの強い絵画性たっぷりの光景となりますが、あっという間に朝陽が昇れば平坦な光景となってしまい、平凡そのもののお土産写真に格落ちしてしまうのです。
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『絵に描いた餅と』いう意味は、余り良い事の例えには、使われませんが、『絵に描いたような町』は逆に、褒め言葉のように使われることが多いですね。
東京の町も、お手軽高層ビルラッシュの乱立で、その外観も40年以上前の、高度成長時代となんら変わらず、クレージー・キャッツがどたばたと踊っている背景にぴったりの風景ばかりとなって来ました。気になった美しい場所もいつ消えてしまうか分からない状況が続いていますから、カメラ片手に普段から撮りまくっています。
私の好きな『Summer Holiday』という画集には、そんな愚鈍な感性とは別の『人間の町』が登場してくるので、時々、書庫から取り出して、楽しんでいます。南仏を中心に描かれた楽しいモチーフばかりで、その空気感を捉える技術が抜群なこともあって、長年の私のベストブックであります。
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カルカソンヌをはじめ、南フランスの町には、こんな巨大な樹木が茂っていて、此処に来れば差すような日差しからも、一時逃れることができます。
東京都心の大規模開発・商業施設にも申し訳程度の植林が為されていますが、何処も彼処も、同じような樹木種で構成され、都心でのオアシスを楽しむにも選択肢が少なく、がっかりすること、最近多々あります。東京ミッドタウンの庭園もせっかく素晴らしいロケーションにあるにも関わらず、全く無神経な造園設計に基づき、植栽計画もファジーな要素がなく、ただ来園者を滞りなく裁く管理視点からの発想しかないように思えてきます。
やはり、どんな樹木を植えるかよりも、そこにどんな人たちがどう集まってくるかというイマジネーションの方が、大切な気がしてまいりました。
さて、1960年代から70年代にかけて、その影響力の大きさは多大であった『都市住宅』の別冊として、クリストファー・アレクザンダーが総指揮を執った別冊・『人間都市』には、今忘れかけた人間が活き活きとして生活する界隈の重要性が、当時最先端であったコピー機を使った斬新なグラフィックを通して展開され、学生だった私世代は相当影響をうけたのです。
アメリカの草の根をはじめとするホールアースムーブメントが一巡して、純粋に都市の要素と人間の行動・生態を解析しながら分かりやすくまとめたこの本に匹敵するような書籍には、その後出合っておりません。
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花屋さんが町の真中にある気分の良さというのは、計り知れない、豊かさを感じます。
昨今は、街づくりや大都市の再開発計画がある種の成功例をパターン化して、家賃収入の収支だけを金科玉条としているだけのような気がしてきて、何処にいっても、いつか来た街となってしまうのであります。
都心ではお洒落な花屋さんが増えてきているのは確かなようで、夕方頃には値段も安くなり始め、目ざといOL達が束ねて買い求めたりしているのをよく目にします。
このプロバンス地方の街の写真のように、魚屋さんを兼業しているような雰囲気がぴったりのおじさんがうろうろしているような花屋さんというのも、計算通りのミスマッチとでも云いましょうか・・・、なかなか都心ではお目にかかれない雰囲気であります。
美味しいパン屋、きれいな果物屋、威勢のよい花屋、清潔な床屋、きちんとした古本屋、そして渋い自転車屋などが並ぶと、もう何となく、あのジャック・タチの世界を彷彿としますが、私は年甲斐もなく可愛い町並みが好きなのであります。
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