2009年11月21日 (土)

東山魁夷・欧州からの便り

04 写真提供:芸術新潮

1933年から1935年にかけて、東山魁夷はドイツに留学し、ただでさえ上野の優等生であったその才気に磨きがかかり、ドイツに留まることなく、イタリア・スイス・フランス・イギリス・ベルギーに出かけ、とくにフィレンツェの、ウフィツィ美術館で西洋美術のもつ圧倒的迫力に自らの画家としての資質に関して葛藤していますが、サンマルコ寺院の壁画に日本画にも通じる世界を見出し、自分のできることをやっていこうと決意したそうです。(参考文献:芸術新潮)

ちょうどその頃、家族・親戚にはこのような絵葉書を頻繁に出していて、さらりと万年筆で描かれたスケッチにも、東山魁夷の誠実な気持ちがよく表れています。

葉書や絵手紙は書きなれていませんと、凝縮した簡潔な文案がひらめきませんし、まして、スケッチはスピードが命ですから、なよなよした躊躇い線となってしまい、たった紙一枚の話ですが、生き生きしたメッセージにはなり得ないのです。

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2009年11月 1日 (日)

デュフィの素描

Dufy16 室内装飾家として、多くの壁紙の装飾図案もこなしていたデュフィですが、方や、このようなシンプルな素描も遺しています。

デュフィの自宅兼アトリエで描かれたと思しきペン画には、素早く描いた筆勢が優雅な印象のデュフィとは相反する感性を表現しています。おまけに、線の動きに伴い出来たインクの溜まりさえも、あたかも、全体とのバランスを計算つくしたような位置にきちんと収まっているところなど、偶然中の奇跡としか、いいようがありません。さらに、ヴァイオリンを弾くモデルの立ち姿の重心は一寸の狂いもなく、さらっと仕上げたかに観えるこの作品にもデュフィの神経張り詰めた緊張感が伝わって来そうであります。

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2009年10月28日 (水)

黄金色の景観

1909

画・安野光雅

自然の風景が一気に黄金色に色づいてくると、それまでの緑の光景が一転して、何か、後光が射したありがたいもののように見えてきます。とくに、風の動きが草木にダイレクトに伝播してうねる様などは、まるで緩やかな波のようでもあり、吸い込まれるように、ついつい見入ってしまいます。

早春の眩しいばかりの光景も気持ちが晴れ晴れとなってありがたいものですが、秋に近づくこの時季の様子は、しっとりとした風雅な姿となり、その様は春とは違った哀愁を帯びた切ないものの、自然界の輪廻転生を観るようであり、しいては人間の一生のようでもあります。

フォーク・カントリーミュージックにも、自然の移ろいを賛美した曲が多いのですが、安野光雅さんの画に相応しいとなると、サイモン&ガーファンクルの、アップテンポながら哀愁がたっぷりの、この曲でしょう・・・。http://www.youtube.com/watch?v=IZid4klb9OU

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2009年8月18日 (火)

国境が変われば・・・。

609 画・安野光雅

1967年、初めてのヨーロッパ旅行で最も印象深かったのは、フランスとスペインの国境が変わると突然、地の色、住居の色が変わってしまったことでした。柔らかいパステルトーンのようなフランスの田舎町があれよあれよという間に赤茶色を帯びた景色一色となり、おまけに景色そのものが乾ききったような世界となりました。これほど違いがあるのなら民族性が異なるのは当たり前で、古来、いざこざの数は耐えないことは当たり前なのだ・・・、などと若輩ながら思いました。

さて、安野光雅さんのスペインのスケッチにも、乾ききったスペインの景色がリアルに描かれています。この時期に、スペインの乾いたスケッチ画集を観ていればおのずと喉も渇ききり、冷夏でビールの売上も前年比10%以上落ちているビール業界に少しは貢献してるのでは・・・、などと一人合点しています。

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2009年8月 6日 (木)

鈴木信太郎の『越後の海』

31_1 1937年(昭和12年)に越後を旅した鈴木信太郎は柏崎近くがよほど気に入った場所だったのでしょうか・・・、此処からの風景を数枚描いています。佐渡の方向を描いたこの絵にも、鈴木信太郎らしい深い緑と青の重ねによる独特の、上品ながらも力強い表現をしています。

豊かな家庭に生まれた鈴木信太郎らしい避暑モチーフで、あたかもデュフィーの南仏蘭西の光景のようにも見てとれます。この絵の中では樹木の表現が卓越していて、琳派のそれにも通ずる大胆なアレンジぶりであります。

昭和の暗い時代の年 http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1937.html に描かれたにも関わらず、鈴木信太郎は黙々と明るい生活の画趣に向けて、ひたすら画業に勤しんでいたのです。

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2009年7月29日 (水)

鈴木信太郎の『下田港風景』・1971年

19_2 数多い鈴木信太郎の下田港の絵の中で、最も『童心の画家』と呼ばれた鈴木に相応しい一枚を挙げろと云われれば、躊躇なく私は、「これでしょう・・・。」と叫んでしまいます。

もう、のんびりした下田港から一転して、戦後最も輝いていた高度成長期の活気が此処にも押し寄せている様子が伝わって来るようです。色を多彩に操って自由奔放に描かれたこの港の絵は、港町の活気と海のもつ元気を観る側に伝えてくれる傑作と私は一人で思っているのです・・・。

この絵にも鈴木信太郎の遊び心が雲の表現に表れていて、この表現があるからこそ、楽しくわくわくする港町として完結していると理屈付けしてしまいます。

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2009年6月29日 (月)

アルフレッド・ウォリス『二隻の帆船』

27 1930年頃に描かれたアルフレッド・ウォリスの油彩によるこの絵には他には観られないほど、雲の表情が豊かです。船員として数多くの航海を経験した記憶を後になって一気に描き出したのですから、その記憶力には驚嘆するしかありませんね・・・。

その辺にあった厚紙の地色であるイエローオーカーを効果的に使い、暴れんばかりの筆勢による雲の表現は、実際に猛スピードで動いているようで、気持ち良い風を浴びている帆船の感じが伝わります。

まともな絵画の教育を受けなかったことが幸いして、この力強い絵画が誕生したのでしょうが、ご当人はまったくそんな絵画表現・芸術性とは関係なく、ひたすら記憶を辿りながら、航海の臨場感を表そうとしていたのに過ぎなかったのです。

30センチx50センチほどの小品ながら、画面からは空間スケールの広がりを感じざるを得ないのです。

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2009年6月20日 (土)

エドワード・ホッパー『ケープ エリザベス』

Ed4 澄み切ったメイン州・エリザベス岬の風景を切り取った画面は、誰もが憧れてしまう風景です。

ほんとうでしたら、もっとパノラマ展開の画面をお願いしたいところですが、意外と自分で大きな紙を自分の好きなサイズで描こうとした画家は少ないのです。確かに今のように車に画材を放り込んで好きな景色の場所に出かけていくという方は少なかったでしょうから、既成のスケッチブックを小脇に抱えて、軽装で出かけたのでしょう。それとカメラも大衆化する以前でしたから、この絵を描いたホッパーにしても、全面に広がっているであろう、壮大な景観を自分の手で記録することなど考えも付かなかったのかも知れません。しかし、イギリスのジョン・ラスキンをはじめとするヴィクトリア朝の自然観察派の画家の壮大なパノラマ風景のスケッチは遺されていますから、ひょっとするとホッパーにもパノラマスケッチが遺されていたとすれば、観たいものです。

このメイン州エリザベス岬も、ヒッチコックの『鳥』のロケハンの候補に挙がっていたような気配が漂っていますが、それはあまりにも勘繰り過ぎかも知れません・・・。Cape_elizabeth

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2009年6月16日 (火)

鈴木信太郎・瀬戸物屋 1930年

39 1930年(昭和5年)に奈良旅行をした鈴木信太郎は奈良の街を散策中にこの瀬戸物屋を見つけ、その店内に高密度に納められたありとあらゆる瀬戸物の迫力に魅せられてこの作品を仕上げました。

どうやら、小売店というよりも産地問屋に近い業態のようで、皿・鉢・土瓶から火鉢・便器までと、今では見かけなくなってしまった品物が店内にぎっしりと詰まっています。

奥に見える白い皿に掛かっているばってんのようなものは荒縄だと思いますが、この縛り方は1970年代までは、残っていたはずで、百貨店の陶磁器のセールともなるとこの荒縄で縛られた産地直送の和陶磁器が、ごっそりと納品されて、解くと細かい縄の綻びがそこらじゅうに飛び散っていました。

さて、この店は相当立派な佇まいのようで、多治見から四日市などの産地から厳選された比較的高品質な品物を扱っていた雰囲気に溢れていますが、今も健在なのでしょうか・・・。暖簾に見られる○徳工藤と脇の提灯が奈良の老舗の気配充分であります。

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2009年6月15日 (月)

エドワード・ホッパー・寂しき街角

Ed21 Ed20 エドワード・ホッパーが、都会のダイナーに集まる人の孤独感をみごとに表わした1942年の名作『Nighthawks(夜更かしする人)』には都市のもつ空虚さ・疎外感が、観る者に迫って来ます。広告マンのような雰囲気の男性が独り、肩の微妙な線からは何かあったのか、もしくは何か起きようとしているのか、様々な憶測を観る側に委ねるように、奥深い謎ときのサスペンス感さえ漂ってくる絵画です。

デッサンをご覧になっても、ホッパーは人間の細部の微妙な角度や、店の外観・店内の機器にいたるまで、相当な気合を入れてこの絵に取り掛かったようです。それにしても

きっとこの孤独な紳士に気兼ねして、暫く沈黙・無言の空気の中、この店の初老のような従業員が男女と何か話しを切り出した瞬間を切り取った、四人の人物の位置関係が素晴らしく、まさに映画の一シーンだ・・・と言っても過言ではないでしょう。

それもその筈で、この絵は実際もう少し横長で,そのサイズは映画のビスタビジョンのものと同一だそうですから・・・。こと左様に絵ひとつとっても、トリミングのさじ加減によって意味が全く違ってしまいますね。やはり周囲の環境が見えてないと、この絵のもつメッセージが半分も伝わって来ません。

0eh91

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