2011年11月26日 (土)

1881年 銀座・朝野新聞社

1881

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自由民権運動が台頭し、ジャーナリズムの良心の旗頭として、明治中頃まで、都市のリベラリストに人気のあった、朝野(ちょうや)新聞社の1881年(明治11年)の威風堂々な姿です。実は、現在の銀座四丁目交差点・和光のある場所に明治9年から明治27年まで営業していたのが朝野新聞社でした。http://blog.hix05.com/blog/2008/10/post_792.html

錦絵からも、その繁栄振りがうかがえますし、瓦版に慣れ親しんだ大衆素地があったからこそ、平民目線のジャーナリズムは人気を博していったのでしょう。残念にも明治27年、突然、朝野新聞社は解散、その場を服部時計店が買い取ります。姿かたちは変りましたが、その後、連綿と今日の銀座交差点のランドマークとして存在感は格違いであります。

こうしてみると、現在の和光の正面入口も不思議な処にあると思いませんか。銀座名物としての、あの巨大なウィンドーを楽しむことは出来なかったでしょうが、家相的には明治30年代の服部時計店の正面入口がごくごく当たり前の位置ですよね・・・。曰くありげな予感がしてきましたよ・・・。

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2011年11月21日 (月)

アルフレッド・ウォリス 走る帆船

14 封筒と思しき紙の上から、描かれた帆船は、みごとなまでのリアリティがあって、素晴らしいのひとことしかありません。

アルフレッド・ウォリスさんの漁師としての実体験がこの絵を描かせたのでしょうが、波の動き・漆黒の海原ともに、厚く描かれた効果が、良く出ています。

しっかりと張った帆は風を受けてぐんぐんと前進して、そのスピード感も半端ではありません。普通の画家であれば、上の部分に上手く納まるようにこの帆船を描くのでしょうが、美術教育をまったく受けなかったウォリスは、そんなことお構いなしで、はみ出してしまいましたが、却ってアンバランスが生まれ、躍動感を助長させてくれます。

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2011年11月18日 (金)

アルフレッド・ウォリス『スクーナのビアタ号』

7 絵の画法をなまじっか知らなかったことが幸いして、アルフレッド・ウォリスさんの素朴な絵には時空を自由に飛びまわる不思議な引力が働きます。非論理的で稚拙な表現ながらそのリアリズムは抜群といって良いでしょう。自分の暮らしていた所から殆ど出ないで、毎日のように無我夢中で描いていたからこそ、純粋さだけではない、絵の本質のようなものが介在しています。

おそらく海を毎日凝視していたからこそ、このセルリアンブルーの見事な混色を生み出したのでしょうし、対比する黒で表わした陸の表現も秀逸です。それにしてもこの構図も船の進む感覚が視覚的に捉えられ、脱帽以外のなにものでもありません。

周りにある画材を何の衒いも無く、自由奔放に使いまくっていたそうですから、ペンキから油絵具までこの絵の中にも何種類か、混ざり合っているのかも知れません。

絵とはこのように自由闊達に活き活きとしてなければ、なりませんね・・・。

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2011年11月15日 (火)

梅原龍三郎・桜島

8 何だか、日向に出しっぱなしにして、色褪せてしまった印刷物に気付いたときには、「これはこれで、なかなか趣きのあるものだ」などと納得してしまったことが、あります。

綺麗な色よりも、ちょっとくすんだ色調は、この日本の風土・風景から生まれる独自のものでしょうが、その最高峰が、梅原龍三郎の一連の桜島シリーズです。主題の桜島をあるときは真っ黒に、またあるときは、緑青色に、そしてあるときは、茄子紺色にと自由自在・天衣無縫・・・といった調子で描き分けていますし、それぞれの画趣もまったく異なっていて、この梅原龍三郎の強烈なスタミナから生まれるエネルギーの爆発に圧倒されるのです。

死期が近づくのも関係なく、パワフルな食生活から生み出された、生涯肉食男子・梅原さんの作品を観ていると、やはり、アスリートと同じような、日々の繰り返し練習と、エネルギー満開な食生活が根底にあるのあということに、気付くのです。

この櫻島の画風は、重くもあり軽くもあり、明るいながら暗さもあり・・・といったように、全ての視覚感性を総動員してこのキャンバス内に封じ込めてしまいましたから、一年中、飾っておいても飽きないのであります。時代の流れは、このような画趣とは対極の軽く和む方向へと向かっていますが、私はまっさらな空間にこの梅原さんの力溢れた桜島の画が一点置かれている環境に、今も憧れています。

それにしても、桜島から上る噴煙の筆捌きにいたっては、ほとんど、ジャズにおけるアドリブのようなスリリングな趣きがたっぷりです。

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2011年11月 8日 (火)

眩しいですね・・・。シスレー

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このような光景はサングラスなしでは見ることができませんね。シスレーの絵は、野外で対象を見ながら画いたものが多く、持ち帰ってアトリエで仕上げることを良しとしなかった性格なのか、その色彩・色調にお天道様のありがたさが込められています。健康的で親しみやすさ・・・、これこそがシスレーの絵であり、他のそっくりさんとは似て非なる独壇場なのであります。

この国ニッポンでは、誰にも分かりやすい絵画というものを軽視する傾向が続き、難解この上ない画面を凝視する傾向がとくに1960年代から70年代初頭まで続いていて、このトレンドはモダンジャズ愛好家や詩の世界にも共通であったのです。それが今では、ローカルチュアとして蔑まされていたアニメーションまでもが美大のカリキュラムの売りの筆頭になるなど、時代の変化に影響されなかった美大の営業戦略も見直される時代となっています。

シスレーの明るく・美しく・健康的な絵画を置くと家の中に「外」が生まれ、空間が一瞬にして、「活き活き」となります

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2011年10月30日 (日)

瞬時に捉える達人技!。

2009 アーネスト・H・シェパードさん http://www.asahi-net.or.jp/~ka3i-mztn/shepard.htm の挿絵は熊のプーさんの世界的ヒットにより一躍人気となりましたが、その卓越した表現は空気感まで捉えていて、思わず和んでしまいます。昨今のユルキャラと呼ばれる稚拙なものとは段違いの品格をもったひとつひとつの挿絵には、細部を通してイギリスの子供に対する慈愛さえも描かれているようです。

さて、この一枚、こちらにやって来るあひるの家族の動きなど、歩くリズムさえ描かれているようで、どうすればこのような線描センスが取得できるのか聞いてみたくなるほどです。それと、草の一本一本の無駄のないあしらい方など、小さな作品ですが、人間と動物たちとの絶妙なコミュニケーションさえ浮ぶような秀作です。

さて、お知らせですが、このブログのディスク容量がオーバーとなる、本年12月12日をもって、alpshima毎日連載の記事が完了いたします。現在、記事のストックがいっぱいとなり、 alpshima にタイムリーな記事を書き込みできなくなりましたので、今からでも新らしいアドレス http://alpensmile.cocolog-nifty.com/ のブログを、併読ください。

タイトルも alpshima 2 といたしました。タイムリーなできごと・散策日記などを書き込みますので、時々クリックしてみてください。何とか、ほぼ毎日の書き込みをしたいと思います。12月12日までの alpshima と併読していただけますよう、宜しくお願いいたします。(このお知らせは、今後のブログで随時記載いたします。)

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2011年10月28日 (金)

デュフィのさっぱりクロッキー

Dufy15 美術を志すにも技術がなければ何の意味もなさないのでありますが、このデュフィのクロッキーを観ると、即興ながら動きと構成・余白を瞬時に捉えていることなどから、この画家の力量がいかほどのものか・・・、分かろうというものです。

ロンシャン競馬場にたむろする、紳士の様子でありますが、風俗画としても一級ですし、線の太さを自由自在に使い分けられる腕の筋肉の鍛錬さえもうかがえるようです。さらに、余白さえも練り上げたかのような構図が、登場する一人ひとりの動きをストップモーションのように切り取ったかのようであり、エレガントな題材ながら、ダイナミックな作品となっています。

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2011年10月18日 (火)

1927 鈴木信太郎 『静物』

1927 不思議なもので、知らず知らずのうち家の中にはモノが溢れ、納戸に仕舞い込んだのはいいけれど、そのまま、数十年もデッドストック化してしまっている御宅も多かろうと存じます。私は3年に一度Stock Taking(棚卸)をして、今後用のなさそうなモノは見切りをつけて、処分しています。当初は躊躇いがちで、取って置くことも多かったのですが、回数を重ねるうち、案外、サッパリして気分のよいことが分かりました。納戸にしまいこむのであれば、なるべく、部屋の中にコージーコーナーを作って自分の好きなモノばかりを集積すると、何となく、博物館展示のようにも観え、空間がキリリと締まります。

さて、鈴木信太郎さんが1927年に描いた画面からは、戦前の東京郊外の中流以上の家庭の薫りが漂い、描かれた品々に見入ってしまいます。手彫りの額縁など、シンプルな表現ながらこの画面に緊張感をもたらしています。

私が通っていた小学校の同級生の御宅が吉祥寺大正通り沿いにあって、そこは、大正時代からの古い木造住宅でしたが、佇まいの立派さからして、周りを圧倒していました。玄関を入りすぐ右手に洋間の応接室があって、南側の窓コーナーにはこの絵のような世界が展開していました。同級生の祖父が日本郵船の重役さんということもあって、イギリスの将校時計をはじめ、海外のクラシックな置物が点在していて、子供にとっては宝の山のように見えたものです。家族の代々の大切な品々を引き継いで飾る風習は、既に無きが如くでありますが、たまにそういう場面に出くわすと、伝承されていくアイコンのもつ強みを感じざるを得ないのであります。

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2011年10月 6日 (木)

石井伯亭 『並蔵』 1913

1913 大正時代の日本の絵画には海外留学した画家以外、独特の重厚感のあるものが多く、この石井伯亭の描く松江の蔵の風景にも、コンテとグアッシュでのびのびと描かれているものの、重さと暗さが表れています。この暗さが、昭和初期まで日本絵画の一方の旗頭となっていて、今も、この暗さを求める絵画フアンも、少なくないのです。

水墨画に着色したような雰囲気は、アカデミックなモチーフを主題にしていながら、水面に映る表現などはリアリズムに少しモダニズムを感じますし、画面全体の引き締まった画趣には西欧には見られない、風雅ささえ覚えます。

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2011年10月 4日 (火)

マルケ・雨の港町

Spark_of_color アルベール・マルケが1930年に描いた『ブーローニュ・シュル・メール港の眺め』は、早朝の雨模様をフィルター効果で彩度を落とし、油彩ながらパステル画のような優しい画趣になっています。マルケは、空気の湿度感を捉えるセンスが抜群で、煙の臭いまでもがカンヴァスを通して、こちらに漂ってきそうです。また、機関車の線路を極端に省略し、雨にぬれた広場を効果的な面積として配分しています。ぽつんと立っている人物の影がシンプルながら絶妙な配色ですね。

渋い画でありますが、日本人好みのしっとり感は、和室にもぴったりの一枚です。

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