2010年6月24日 (木)

目黒区青葉台の帽子屋さん。

Rimg29889

1930

1909

旧山手通りを早朝に走ると、ここは尾根道だけに涼しさが違います。南東側は谷となり、そこには目黒川が控え、今や、ナチュラル系の店舗が衣食住夫々目白押しとなって、下北沢系と仲間のようなショップが多いものの、場所柄か、一味違う洒落っ気と店員さんの清潔感が涼しげに映ります。目黒川に向かう坂道に、上村坂と呼ばれる、上るには厳しく、下るにもブレーキに腕力を必要とする急坂があり、その途中にあるのが、OLD-MAN http://www.old-man.jp/ という帽子屋さんで、此処は以前、マニアの多いことで知られるファイアーキングの食器を扱う店でした。

この界隈、トラッド系の店が多かった頃はギンギンの自転車ジャージの格好で入るのに、それなりの度胸を必要としてましたが、この界隈にもスポーツ系・ストリート系の自転車ショップがふえたこともあって、何処もすんなりと受け入れてくれます。但しこの時期、自転車を降り、しばし汗が止まるまで店内に入ることはご法度であるのですが、このルールを知らない輩が多いのも、事実なのであります。

さて、この帽子屋さんの佇まい、昔の商店街には必ず一軒はあったような雰囲気が嬉しいのです。渋い品揃えと思いがちですが、じっと見ていると、場所柄か、今風のデザインテーストがきちんと反映されていて、価格もボリュームゾーンのちょっと上が多めに揃っています。

今年は、どこを歩いていても、帽子を被る若い世代が多いものの、崩した被り方は間抜けにしか見られず、1950年代のジャズプレーヤーが被っていた洒落た崩し方を勉強した方が粋に映るぞ・・・などと思ってしまうのであります。

ちょっと古い雑誌や写真を見ていても、男性諸氏の帽子姿は、街の風俗を豊かに演出していますね・・・。

というわけで、もうちらほら見かけますが、今年はパナマ帽の当たり年でしょうね・・・。

ついでといっては何ですが・・・、男が帽子を被らなくなった理由として、以下の記述が某サイトにありました。

(1)モータリゼーションの発達。自動車社会となるにつれ、帽子が不要なものとなってきた。(車に乗るのに帽子は邪魔。20世紀初頭の自動車の車高が高かった理由は、正装した紳士がシルクハットを被ったまま乗り込みやすいようにという配慮があった。)

(2)エアコンを始め、室内や街中(特に地下)の気温が一定化してきてこと。特に冬場に防寒のために帽子を被る必要がなくなってきた。地球の温暖化の影響?

(3)世界的規模での社会全体のカジュアル化。帽子はかつて階級社会の象徴としての側面もあった。

(4) (3)に関連して、男性のヘアースタイルのバリエーションが戦後劇的に増えてきたこと。(特にプレスリーやジェームス・ディーンなど、リーゼントヘアにとっては帽子は全く不要。個性をヘアースタイルで表現するようになってきた。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月16日 (金)

逞しく穏やかな岡本文弥さん。

Rimg27992 松浦弥太郎さんと、ひょんなことからお会いして以来、経営されているCOW BOOKS http://www.cowbooks.jp/newtop.html に頻繁とお邪魔することになり、そこで手に取った三月書房の本にのめりこみ、気付くと、数冊が書棚に小気味良く収まっていました。

池田弥三郎・奥野信太郎を数冊買って以来ご両人の文体の品格に改めて惹かれ、PCで慣れきった自分の文章構成を恥ずかしく反省していますし、文庫本寸法ながら装幀の確かさも魅力で、最近のデスクトップで生まれるデータ処理指向の出版物からは味わえない薫りを愉しんでいます。

岡本文弥さん http://www.taitocity.net/culture/bunkazai/sinnai.htm の随筆もそのひとつです。ずいぶん昔になりますが、永六輔さんが岡本文弥さんのことを「権力に抵抗する剛毅なようすなどいっさい見せず、しゃらりと生活するその様は正に、江戸の町人のそれである・・・、」などとラジオで喋っていたことを妙に、頭の隅っこに覚えていて、偶然、三月書房からその姿の良い造本と装幀を見つけてしまいました。

『芸渡世』『ひそひそばなし』、二冊とも、岡本さんの日常周辺に起こるできごとや、芸能、ちょっと昔の町に関わる四方山話などなどが盛り込まれ、その流れるような文体を通し、粋で控えめなのに切れ味の鋭い、随筆の鏡のような珠玉の宝庫です。

どの内容もひょうひょうとしてますから、読むごとにふぉんわかとして、やわらかく成りだしたこの時季だからこそぴったり合うような気がいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 5日 (水)

軽井沢・1933年

193308 1933年http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1933.htmlは昭和史・世界史にとっても様々な出来事の生じた年で、その後の暗い世相を牽引したきっかけもこの年に起因することが多いのでありますが、軽井沢にはまったくそのような暗雲立ち込めだした様子の微塵もなく、戦前の格差社会の風俗を如実に物語っています。

ところがある方の話ですと、この数年前からドイツ国の外交官と日本の官僚がこの軽井沢において、様々な謀を画策していたようですから、実態はこのような優雅な側面だけではなかったようであります。

国際連盟脱退・ヒトラー首相に任命・生糸相場大暴落・小林多喜二拷問死などの暗い出来事の多い中、皇太子誕生などの明るいニュースも僅かながらありますが、カゴメトマトジュースがこの年に誕生したとは知りませんでしたね・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月20日 (火)

松山猛趣味 という本

Rimg8585 Rimg8587 Rimg8588 Rimg8591 1999年にNHK出版から刊行された、松山猛さんの書かれた男の趣味的生活に関わるモノの薀蓄本は、マニアックなレベルの情報が満載なのですが、文体が紀行文のように、そのモノが登場する場面の展開がみごとで、男が拘りがちな世界を、開放的に表現してくれます。

人間の想像力・創造力から生まれた、モノを取り巻く文化というものは、一度その世界を垣間見てしまうと、余りにも奥深く、結局、生涯の友として、付かず離れず、寄り合っていくのがベストスタンスなのでしょうが、多くの男性は、そこまで踏み込まずに、外野から遠巻きに観察して、覚めた視線で、深みにはまった輩を冷静に観ているのでしょう。

この本はどっぷり浸かりそうで、浸からない、みごとな大人のスタンスが、その気持ちよい文体と共に、それほどモノマニアでない皆さんにも、納得尽くめの話しがぎっしりですから、独り、誰も居ない居間で、通り過ぎた青春の青臭い思い出を肴に、読書三昧・・・も、結構なのでは・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 1日 (水)

池田弥三郎・『ふるさと日本』 1972

Rimg4711 残念なことに昨年いっぱいで銀座・奥村書店が無くなって、銀座の散策の大きな愉しみが忽然と消えてしまいました。私にとって銀座の聖域、いや、オアシスの方が相応しいスポットでありましたが、今その跡を見ると悲しい限りです。

昨年ぎりぎりに古書を求めに伺い、この池田弥三郎著『ふるさと日本』を買い求めました。

生粋の江戸っ子である池田さんの語るような流れで書かれた文体は、久しく書物から離れていた私にとって新鮮で豊かなひとときを愉しめる、絶好のエッセイばかりです。

「ふるさと日本」「ふるさと東京」「旅の文化史」「季節そのおりおり」と四編に分かれていますが、なかでも、この本を購入した奥村書店との因縁というか、「ふるさと東京」の内、(ふるさと銀座)が池田さんの祖父が営んでいた銀座『天金』というてんぷらやと、夫々の時代の推移とを掛け合わせた珠玉のエッセイばかりで秀逸です。幕末の彰義隊を匿う話から「東京」を昔の江戸っ子は「トウケイ」と読んでいたことなどまで、文章の詳細な部分に江戸の名残が散りばめられ、今日との比較も分かりやすく、嬉しい買物でありました。

1967年に鹿島研究所出版会から刊行されたこの本の内容は、江戸っ子らしく当時の高度成長を牽引した建設業界を皮肉っている文章も多く、発行者も辛い立場であったであろうことは想像がつきます。

尚、著者・池田弥三郎さんの甥子さんが池田雅彦さんで、学生時代は慶應大学ブルーグラスバンドの名バンジョー・プレィヤーとして活躍され、今はユニバーサルミュージックの音楽プロデューサーとして、あの『WaT』 http://www.youtube.com/watch?v=imeKI07eZCk をプロデュースされています。彼らの音楽に、何やら懐かしいフレーズを感じれば、それは間違いなく池田さんの感性が織りこめられているからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 4日 (金)

小林泰彦・東京自転車小旅行

Rimg7774 イギリスのフランク・パターソンさんが描く、精密な線描法による自転車ツーリングの紀行スケッチは、そのみごとな空気感・風景の捉え方を通して人気ですが、日本においてはこの小林泰彦さん http://home.b01.itscom.net/yasuhiko/ の抜群のデッサン力と、(兄・小林信彦ばりの)洒脱な文体によるこの一冊がとどめでしょうか・・・。

1975年に登場した『POPEYE』の雑誌に、ライフスタイルのトレンドとして、数多く登場した小林さんの海外取材としてのイラストルポを、ご記憶の方も多いと思いますが、小林さん自身が無類のアウトドア・スポーツの達人でもありましたから、POPEYEに初めて登場したアメリカ西海岸の新しいスポーツに関する、ご自身のコラムと挿絵には、毎号わくわくしていましたし、『山と渓谷』に連載のコラム・エッセイも、視点が山ばかりでなく、周辺のちょっと洒落た内容にまでふくらみ、小林泰彦さんが、無粋な山男ではない気配を、雑誌を通して感じていました。

Rimg7777Rimg7793さて、1979年に文芸春秋社から刊行された『東京自転車小旅行』には、自転車で気軽に散策する愉しみが盛りだくさんで、ピックアップされた東京の見どころの選択センスも素晴らしく、今では既に消え去ってしまった光景も多々ありますから、比較しながら読みますと、この30数年で相当入れ替わってしまった東京の環境の変遷も理解でき、資料としてもありがたい存在です。

この本も神保町の店先のダンボールに入っていて、ハンバーガー一個ほどのお値段に飛びついてしまいました。どうやら古書店にも世代交代というか、時代の流れを知らない輩が商いはじめたのか・・・、私世代には思い出の宝庫である1960年代から70年代の雑誌・単行本が放出し始めた有様のようです。

因みにアマゾンで検索しますと、『東京自転車小旅行』は、私の買った値段の10倍の価格でした・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 7日 (金)

The Boy's Own Annual

Img_6116_1 Img_6121_1Img_6120_2 ラジオが普及し始めた1930年代、米英の少年たちはラジオから聴こえてくるサスペンス・戦争・スポーツなどの番組に、耳を傾けはじめていましたが、イギリスの所謂、エスタブリッシュメントの子弟の間では、やはりこの『Boy's Own Annual』を読むことが真・善・美・勇を併せ持つ、きちんとした大人になる第一歩と云われていたように聞いています。

私は子供の頃から今に至るまでひとつのことに集中できない癖があって、小学校4年から始まった英語の授業も、その内容より、配られた教科書の妙にバタくさい絵柄の方に興味がいってしまい、そのせいか、英語が得意であってもおかしくないのに、とうとうまともに洋書一冊読破することなく、今日まで来てしまいました。

そんな私でも、この本には隅から隅まで少年が興味を持ちたくなるような分野から、人を指導する立場になる将来を見越した正統な価値観を身につける教養分野まで、当時最先端の記事・論説や世界の情報がてんこ盛りのようですから、ついついのめりこんでしまいますし、なによりも英国人お得意のペン画による挿絵が少年時代の冒険・探検へのイマジネーションを高めてくれます。

天気の良いこの日、国立の銀杏書房を通して購入して以来仕舞い込んであった二冊を、虫干しいたしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月17日 (日)

古書店の拾い物!

Img_7723_2 Img_7728 Img_7726 Img_7727 Img_7724_4 神田神保町は、時間の許す限り、頻繁に通っているのですが、昨今の家庭環境の状況なのか、大きく重い本の需要が悲惨なほど少なく、その結果、価格の大暴落を招いていて、逆に趣味性の高い豪華本などに興味のおありの方にはまたとない大チャンスでもあります。

先日も悠久堂書店の路面のダンボールの中に昭和43年・淡交社刊行の『日本の文様 風月・花鳥2~3』のセットがなんと一冊800円という価格で放出されていました。さほどの豪華本ではないものの、北村四郎・吉田光邦・田中一光のトリオでまとめられた日本の意匠史に燦然と輝く大仕事の本を見つけた時はその価格に唖然といたしましたが、時代の流れはもうこのような立派な内容の本を必要としていないと思うと、少しさびしい感覚を持たざるを得ませんでした。

この本、単なる意匠の本と思うと大間違いで、花鳥シリーズでは、その分類自体が北村四郎氏の専門である植物史・植物地理学に立脚し、図録の解説にもきちんとその体系が反映されています。また一方の風月では、天・地・人という中国で創案された三才の分類に決まり、日本の明治期までの知識思考様式のひとつに自然観察の手法が採りいれられていた、などということにも展観しています。

このシリーズ、本来は全四巻なのですが花鳥の第一巻が欠けていて今探してもらっていますから、いずれ登場するまでの時間をしばし手に入れた三冊で勉強いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月12日 (火)

エスクアイア誌・1990年代

Img_7716 Img_7717 Img_7718 Img_7719 Img_7715 昨今の男の雑誌の跳梁跋扈に僻々しているのは、私だけでしょうか。デスクトップで出版の心臓部といわれる編集とレイアウトの殆どを完了することが出来、さらにアートディレクターが介在しなくとも、消耗品扱いのようにグラフィック処理が進行していくご時勢では、見応え・読み応えのある雑誌など、期待する方が時代遅れなのかも知れません。もう殆ど、情報敏速処理加工業そのもののようであります。それでも、1990年代の『ESQUIRE』などを捲りますと、本好きな集団が夫々の情熱と拘りを以って、一冊一冊に入魂しつつ、刊行していった様子が此処彼処に垣間見れます。余白センスのある編集担当者が関わった趣きのページには、小気味よい文案がさらっと書かれて、要所・急所の押さえどころに一分の隙もなく、この雑誌制作集団の団結力が表れているようです。

ページを捲りつつ、突然、目の前にポール・スミスの厚いFAIROFAX手帳のなどをド迫力の見開き写真で見せられると、当時(1992年)一般にも普及し終わった感のあるこのシステム手帳を、今も再度購入してみたくなります・・。この雑誌には伝統的に物欲を喚起させる魔術のようなセンスがあるのですが、この写真などはその冠たるものといえるでしょう。

臨時増刊などのフェイントで雑誌おたくの意表をついては、斬新な切り口で男の世界を古今東西按配よく調理していましたが、その後出版社も変わり、当然担当者も代わって、現在この雑誌には、目新しさの方にばかりネタが偏り、往年の大人の正しい在り方という頑固一徹さの視点が全くといってよいほど、薫ってまいりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)