2011年12月10日 (土)

麗江は行ってみたい。

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3 麗江は雲南省の北西高原にある美しい街で、そこには人々があこがれる“シャングリラ” (チベット語:素晴らしいところ)の世界が広がっています。
  金沙江のほとりにあり、玉龍雪山がそびえ、渓谷は険しく、澄んだ水が流れています。麗江は、雲南、四川、チベットの民族文化が溶け合う三角地域にあり、かつては“茶馬古道”がここを走っていました。
 何代にも渡って住んでいたナシ族は、漢族、チベット族、白族の優秀な文化を受け入れ、 独自の文化を作り出しました。
 世界で唯一現在も使われている東巴象形文字、東巴文化、ナシ族古典音楽、いくつかの宗教が合わせた白沙壁画などが今なお残っています。
 宋の終わりから元の時代初期に形成された麗江はすでに800年余りの歴史を持ち、ナシ族文化の代表的なものと言えるでしょう。

麗江は、中国の他都市とは異なり、漢族、チベット族及び他の周辺民族の文化が取り入れられ、そうした文化がうまく溶け合った町です。また、独特の民族文化に富み、世界的にも長い歴史を持ち、それらが今でも保存されています。
 麗江は、周囲の美しい自然環境や、周辺の山村とうまく調和しています。
 山麓の川のほ とりに位置し、流水は各家を巡り、川のほとりでは柳の枝がそよそよとゆれています。路地にはきれいな小石が敷かれ、人々が行き交う道は晴れの日にほこりが立つことも雨の日に泥にまみれることもありません。

トンパ文字を使うことでも有名なこの町の姿を観て一目ぼれ・・・。いつかは行ってみようと思いつつ、日々の仕事に追われ、ときは過ぎてゆくばかり・・・。標高メートルにあるこの麗江の環境は素晴らしくその美的全体観は土木技術を元に住民の崇高な見識とが相まって花咲いたものでしょうが、今日も連綿として祖先の暮らした環境とほぼ変わりない状態を保っているのに驚きますね。文明がある頂点まで来て行き詰まりを感じる先進国とは対極なコードを以って暮らすこの町の誇りに少しでも接してみようと思いたくなっているのです。

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2011年10月23日 (日)

イエメン・ハッジャの尾根道に目眩が!。

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撮影:東京学芸大学名誉教授 伊藤清忠先生

イエメンといわれても、何処なのかピンと来ないのが当たり前でしょうが、この尾根道には感動しました・・・。標高も2000メートル近くあり、この地域は城塞集落の宝庫ということですから、この写真もその一環かも知れません。

自転車のダウンヒルをイメージしたところで、転倒してまっさかさまという悪夢以外見そうもなく、その険しさも半端ではありません。ガードレールなど関係なく、ひたすら穏やかな尾根と鋭角的馬の背が混ざるこの場所はどの辺りなのか・・・。ダウンヒルマニアには垂涎の場所でありますね。

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2011年8月 6日 (土)

尾根道の快適さは・・・。

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水彩画:安野光雅

都心の尾根道は、快適な自転車徘走を愉しむのにご機嫌なひと時を約束してくれますが、少しでも早い時間ほど、その空気の清祥感が別天地となって体中に流れていきます。

東京は大まかにいえば、皇居に向かって街道が収斂していて、周囲に山と谷が川を絡ませて複雑になっています。尾根道はこの収斂しているエリアに限られ、本郷通り・日本榎通りから旧山手通り・目黒三田通りなどは、名残の部分と現在部分が交わっていて、自転車だけでなく徒歩でも、奥深いスポットに出会い愉しめるルートであります。

方や、優れた里山の尾根道も申し分ない快適感を約束してくれますが、自動車社会となり、どうすることも出来ないのですが、標識以外にも道路に描かれたペイントの制限表示が以前より増えた気がして、これでは情報の氾濫も極まった感があって、絶好の写真スナップエリアでも、制限表示が写ってしまいます。せめて、このスイスの絵のように、人為の記号の見えない光景を観たいものですね・・・。

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2011年5月30日 (月)

イギリスの、のんびり三昧。

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初夏の頃でしょうか。英国・湖水地方のスナップ写真ですが、羨ましいほどの、贅沢景観ですね・・・。

もはや、この国ではこのような雄大で野趣な場所などあるわけなく、何処に出かけても商売の旗指物やファストフード店の環境無視な店舗が目に入ってきて、折角の自然景観が台無しになってしまいます。

まあ、このイギリスの写真でも見て、静寂で広大な光景をほぼ独占しているお二人になりきってみましょう。無風に近い湖畔では鳥のさえずりも聞こえていそうで、射すような季節はずれの天候は、この二人にはラッキーそのものです。幼年時代からの気の置けない友人なのか、それとも、二人で創業した会社も予想以上のスピードで巨大化し、もう、部下に任せて創業者仲間はのんびり三昧といったところでしょうか・・・。まだまだ先行きの読めない時代を相手に、どう会社の矛先を向けたらよいのか、悩んだ末に、この素晴らしい自然環境に身をおいて、雄大な構想を練りだしたところ・・・、といった状況のようでありますよ。

Decision Makerは些細なことに案じることなく、全世界の次世代潮流をも鑑みつつ、豊かな環境の中、清浄なる気分を以って、ことに取り組む時代に入って来たのではないでしょうか。

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2011年3月30日 (水)

1854年・御殿山の絶景花見。

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1854年の広重の版画は、品川沖と御殿山の桜の場面が五分五分構成となっていて、イマイチな感じもしますが、1853年に続く黒船再来航・横浜村で日米和親条約(神奈川条約)調印など、日本が開国したこの年は、さらに全国各地で大地震もあり、正に大揺れの年でありましたが、そんな事関係ないといわんばかりか、春爛漫の桜を楽しむ江戸町人などで賑わっています。

既に品川沖には万が一のリスクヘッジとなるべきお台場が出来、品川宿の至近距離に『御殿山下御枹台場』が一月に着工中なのですが、全く画かれていないのは、御殿山を削った土のおかげで出来たようなお台場など不愉快千万と云わんばかりに、公儀に対し、何か意図的なことでもあるのでしょうか・・・。

その後、25年ほど経過した明治20年頃のモノクロ写真を観ると、(お台場に供給した土のせいか)御殿山がいかにスーパーフラットな地形であったが窺えます(この写真は都合により画像として載せられません)。地形はすっかり変わっても流石に江戸から続く桜の絶景スポットですから、飲食店舗も本格的です。竹さおを骨組とし、そこにムシロを屋根代わりにしたこの設えは、仮設店舗以外にも、夏の納涼映画会などでも昭和30年代前半まで全国に浸透していた姿で、私も1955年の茨城県・五浦での夏休み、『高田浩吉の股旅物映画』を観ていたの会場がおなじ設えでした。品川沖からの浜風に当たりながら桜三昧の宴は、悪酔いもすることなかったでしょうが、酔っ払えば、急坂を下る際、脚がもつれて大怪我した輩も多かったに違いなさそうですね。

現在、この素晴らしかった絶景エリアの面影は完璧になくなっていますが、目黒川の居木橋をミャンマー大使館に向う坂道には、ささやかながら懐旧の気配が漂っています。

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2011年2月13日 (日)

そよぐ風に気持ちよさそうな家。

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Edward Hopperさんにしては輪郭線が太い作品ですが、海岸線に近い建物を、「極めて風雨に強い物件であります・・・」と、言わんばかりに描かれています。とは言うものの、左奥には、家らしきものが傾いてますから、やはりこの場所は、厳しい風雨に晒されているようです。

全体に肌のきめが細かいような趣きですが、これはあくまでも、吸い込みの少ないカートリッジペーパーのような紙をつかったからで、この紙のタイプは色の発色が秀逸で、滲みはほとんどないものの、シャープな画趣の好きな日曜画家に長い間人気があります。

白い余白を最初に意識して描かれた青空が爽やかで、春を待ちこがれているバルコニー越しの家の主が、今にもこちらに向かって出てきそうです。

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2010年10月19日 (火)

英国の秋

1109 安野光雅さんの水彩の真骨頂は、海外を描いても日本的な画趣に収められているところでしょうか。

このイギリスの田園風景はスレート屋根と石積みの住まいの村を抜ける街道ですが、日本人にも和める一枚です。過去何度か出張で行ったことのあるイギリスですが、このような光景を目の前にしていても、のんびり散策できたわけもなく、毎日、買付けと商品ラインアップに終始していました。唯一、ロンドンタクシーに乗って郊外に出向いた際、この雰囲気に酷似した村に遭遇し運転手にスナップしてもらい、良い記念になったと満足していたものの、帰国し現像してみると、空しか映っていないのでありました。

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2010年7月30日 (金)

水辺の一服。

I 炎天下のツーリングを体験した、1963年・夏の自転車合宿は、毎日、じりじりと両腕・両足が日焼けしていくのが分かるほどの強烈な陽射しに晒されました。渋川から吾妻渓谷を抜け、長野原に向かう街道は、まだ自動車の往来も少なく、所々未舗装で最悪な箇所とタイヤも吸い付かんばかりの抜群の舗装道路もありといった状況で、落胆と歓びが次々とやってくるなど、青春の心理そのままのように走り抜けました。吾妻街道に沿って流れる吾妻川も渓流のような姿の箇所もあれば、欝蒼とした樹木の中に溶け込んだ箇所もあったりと、移動していく場所によって、大胆な変化が付いて周り、その変化を味わうだけでも、愉しい経験でありました。

このフランク・パターソン氏の挿絵のような箇所も何回か登場し、私などは、その都度、そこで景色を眺めては、メンバーのひんしゅくをかっていたのですが、美しさの誘惑には堪えきれず立ち止まってしまうのでした。

治水・利水の名目でこのような天然な姿の河川の殆どが消えてしまいましたが、川を伝わってくる清風・涼風の柔らかさは森林のそれとは違うことも感覚的に体感するなど、風雅な感性も若い時代に養うことが出来たのは、今になって有り難いことであった・・・、と思います。

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2010年7月21日 (水)

サンシルラポピーの町

1_6 Photography:odebunekosan

この美しいフランスの村・サンシルラポピーは、何となくメルヘンの物語に登場して来そうな気配があります。15世紀から16世紀にかけての村が殆ど変わらず現存していて、多くの観光客が訪れ、日本人の旅なれた中高年層にも人気が高いようです。

夜などは、真っ暗であっただろうし、怖いお話もいっぱい残っていそうですが、何処の国でもこういうロケーションの町や村ですと、夜は家族や近所の人も集まって話をしたり、音楽を奏でたりと、毎日が楽しく暮らしていけたのでしょう・・・。

箱庭的まとまりの好きな私が、一度は訪れてみたいところでありますが、ホテルもこの街の環境ですと、周囲の普通の建物とあまり外観が変わらないでしょうから、間違いなく真っ直ぐ戻れそうもありません・・・。

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2010年1月 8日 (金)

こんな景色は郊外にもあった。

Patterson07_2 都心から多摩川の多摩川原橋を越え矢野口に出ると、よみうりランドが見えますが、その昔、今から46年前はこの辺りから一気に山の上りのような景色となって、自転車で初めて向かったときは、それだけで、こんな近場に素晴らしい景観があるとは思いもせず、純真な年頃もあって、感激ばかりしていました。

有吉さん・沼さんという東京サイクリングセンターを通して知り合った先輩の後ろにくっついて、黙々とペダルをこぎながら、変速機の使い方、状況によって臨機応変なライディング・フォームのかたち・・・、などを盗むように吸収していました。当時はまだ、前後で8段のギアでしたが、このフランク・パターソンさんの描くイギリスの景色にそっくりな場所に出くわすと、その美しさに脚力も元気を貰い、通学で使っていたREGALのコインローファーシューズが、トークリップから脱げ落ちそうになりながらも、歯を食いしばって上って行きました。頂上に出て一服する時、両先輩から頂いた、タッパウェアーに入った蜂蜜漬けのレモンスライスの上手さに、これもびっくりでありました。現在の新百合丘界隈も、この頃は森林、田畑の続く快適な場所が多く、その後、一人で出かけることが多くなりましたが、カメラが砂利道の振動で壊れやすいことを懸念し一度も持参せず、美しい景色を記録に残しておけばと、今も残念の極みなのです。それほど、素晴らしいパノラマ景色の宝庫でありました。

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